テキスト「葬る山、斎く島」「暗い森」 


「葬る山、斎く島」  内田亜里

 

韓国の済州島へ初めて降り立ったのは、2008年の事だった。在日の小説家である金石範先生のインタビュー集刊行のために、4.3事件記念式典に出席する金

 先生に同行し、書籍に掲載する済州島での先生の写真を撮影するためであった。

 2年ほどをかけて行われたインタビューと実際に先生と赴いた済州島の写真で構成された書籍は「金石範《火山島》小説世界を語る!」として2010年に右文書

 院から刊行された。金先生の短編小説「乳房のない女」では、4.3事件から逃れた親戚を対馬まで迎えにいくという実際の話によって物語は紡がれていくが、当

 時はずいぶんと遠い物語のように感じられた済州島でのこの事件が、日本の対馬というキーワードを経て、不思議としかし確実に自分の中へストンと落ちた。対

 馬は、九州と韓国の間の対馬海峡に位置し、韓国までは49.kmと距離的にとても近い位置にある。地図上でみても韓国に近いこの細長い多くの岬を持ったこの島へどうしても行かなければならないという思いは強くなり、済州島の撮影のあとすぐに対馬へ出かけた。島は細長く、周囲の海岸に切り立った崖はまるで人の往来を拒むかのように続いていた。済州島での撮影をきっかけに始まった対馬での撮影は15年になっていた。

作品タイトル「葬る山、斎く島」は、対馬にある木坂という集落での物語から着想を得た。木坂集落は、海沿いに面したとても小さな集落である。そこには「イヅ山」と呼ばれる神々の世界の象徴である聖地の山と、「ホリ山」と呼ばれる死後の冥土とされる葬られる山、そしてその2つの山に挟まれるかのように人々の生前の現し世が存在している。かつて木坂はこの三分観の世界で構成されていたのだ。イヅとはイツクことであり、神を斎き沈める意で、ホリとは「葬り(はふり)」の意である。イヅ山もホリ山もどちらも勝手には入ってはならない聖地であるのだ。ホリ山は葬地であり、ここに喪家を営む風習もあったという。現在では、人家から一山超えた朝鮮海峡を望む岬に住民たちの墓地が静かに存在している。人間が生まれ、生き、救済を求めてイヅ山の神々に願い、死後にホリ山に葬られるという世界がとても小さな集落の中で完璧な物語として存在したことは、私が対馬を長い間撮影し続けていた一つの、そして後押ししてくれた大切な物語となった。

対馬は、まだ国境の線引きが曖昧であった頃、マージナルな世界が海を舞台に繰り広げられていたという。その中心地が対馬であり、済州島でもあった。また、朝鮮で作られたかつての地図には、対馬が大きくそして無数の湾が詳細に克明に記されていたことは、いかに両者が親密であり、緊張と弛緩を繰り返しながら交流を続けてきたのかがよくわかる。国境の線引きが明確になるにつれ、そのマージナルな世界は排除されていったが、そのような親密な歴史を経た今の対馬に、多分に日本的なものと朝鮮的なものが内包されていると感じている。そして丹念にその世界を探し見ていくことは、私にとって失われた故郷を写真によってこの世界に見つけ出す、あるいは作り出す作業のようにも思っている。今では目には見えないものとしてある歴史の残像が放つ僅かな光によって、一瞬に立ち上がる風景をネガに感光させ、印画したい。済州島と対馬の風景を今この世界に解き放ちたい。そう強く考えている。

 

*プリントについては、古来より絵や書の支持体となってきた雁皮紙を用いている。抜群の保存性を誇る堅牢な和紙である。その薄く、堅牢な和紙に写真古典技法であるプラチナパラジウムプリントで焼き付けを行なっている。裏箔や膠という日本画の技法をそこに融合させることで、原始の写真、またはその風景を探る1枚の写真作品を制作している。

 

 

 

 


「暗い森」


韓国・済州島での撮影から始まり、対馬を中心に壱岐島、生月島などの風景を写真に残してきた。

今年に入り、長く対馬の撮影を続けてきた中でずっと足を踏み入れられなかった土地、禁足地ともされる聖地の森へ入ることができた。この聖地とされる場所は、古来では避難所でもあり、様々な罪人が赦免されるという特別な空間でもあったという。

その森は暗い。森に入ると、上下左右の境がわからなくなり、まるで球体の中にいるような不思議な感覚と、がらんとして何もないような暗い森の風景が目の前にあった。空間に体を馴染ませるように森を歩いていくと、その風景には、長い時間をかけて肉付けされてきた祈りの集積のようなものが強烈に宿っているのだと感じた。

私が写真を撮るとき、目には見えない時間や言葉、祈りのようなものの残像を風景に見た瞬間シャッターを切ると思う。なぜ、ここまで対馬や長崎を撮影するのかと自分に問えば、そのような風景がまだ見出されないまま、多くの言葉や祈りとともに埋まっているように感じているからなのかもしれない。目に見える目の前の風景がたとえ、がらんと何もなくても。

 

 

20229
内田亜里

 


内田亜里展「葬る山、斎く島」

Ali Uchida Exhibition[Burying Mountain and Worshipping Isle]

2023. 10. 6 (Fri) - 10.21 (Sat)   

水曜休廊 Closed on Wednesday

12:00 - 19:00 最終日-17:00