「流転」に寄せて ―未知への扉を開く人
鳥原 学
西村陽一郎さんの「流転」シリーズには細やかな線と形とが響きあって、奇妙かつ軽快な視覚的リズムが生まれている。一見すると、その面白さはカンディンスキーやミロなどの、計算されつくした抽象画に似ているように思える。
ところが、この見事な抽象造形は、まったく意外な手法で描出されたものだった。あの誰もが知っている床掃除の便利グッズ、「コロコロ」と呼ばれる、ローラー型の粘着テープ、それも使用済みのものをネガとして使用している。身も蓋もなく言えば、この不思議な形や線の正体は、床に落ちていたチリや髪の毛なのである。西村さんの眼には、それが「足下に宇宙が落ちていた」と見えたというのだから、彼の感性の跳躍力には感心するしかない。
その一方で、これは新しい表現手法が生まれるときの、ある典型を示してもいるようにも思えた。機材や感光材料について、当初の想定とは違った使い方をするとき、偶然にも未知の世界が表れてくることがあるからだ。例えば、西村さんが長年取り組んできた、印画紙上に直接モノを置いて露光する「フォトグラム」も、誤って暗室の明かりをつけ、印画紙を感光させてしまったというアクシデントから見いだされた手法だった。また、今日の先鋭的な表現者たちも、デジタルカメラや画像ソフトのアルゴリズムに満足せず、そこに偶然性やノイズを招き入れようと奮闘している。こうした意志が、写真表現を常に塗り替えてきたのだ。
なかでも西村作品のユニークさは、未知の美を身の回りから掬い取っている点にある。暗室でのフォトグラム、スキャナーを使ったスキャングラム、あるいは粘着テープの紙ネガで見慣れたモノを大胆にメタモルフォーゼさせる。輪郭を別の次元に転移させ、無意識的で潜在的な世界の意味を明るみに出してきた。
また、こうした特殊な技術が、写真の原理である対象をオートマティックに描写するという点に、きわめて忠実だという点も重要だろう。西村さんは写真家としてのアイデンティティを基盤に技術的な仮説を立て、自身の生活圏に目を凝らす。そして、そこから新しい抽象世界、新しい宇宙を見いだすのだ。
その手さばきは軽やかで、作品にはユーモアさえ醸し出されている。この「流転」というタイトルが、コロコロの回転から着想されたという点にそれは端的に表れていよう。この世界が、私たちが見ている以上の可能性に満ちていることを、写真的手法で楽しく示してくれる人である。
とりはら まなぶ / 写真評論家
「流転2021 #1」 2021年 スキャングラム サイズ可変