「春 その春」 門井幸子
道東に位置する根室市は、日本で一番桜が遅く開花するところで、3月中旬の雪解けから緩やかに 春が過ぎていく、道内でも他では見られない低く平かな大地が広がる地域である。北海道特有のピン と張った空気、強い風に倒され波打つ草に覆われた黄金色の湿原、澄んだ光、移り変わる色、ずっと 見続けていても飽くことない時間が過ぎていく。
今から10年程前のある日、「明郷にある牧場のレストランで展示をしませんか?」というメールを いただいた。更に遡ること 10年、北海道のいろいろな地域を撮り歩いていたので、またとない機会 とすぐに返事をし、展示スペースを見るために現地へと向かった。2011年4月のことだ。牧場へ案 内してもらう車窓を流れていく風景のなか、ふと眼に留まったところがあった。車を降りて何枚か撮っ たが、そのときはそれほど記憶に残るものでもなかった。 東京に戻り、フィルムを現像する。できあがったコンタクトシートのなかに、本当に稀に、何かそ こだけ香り立つようなカットを見つけることがある。プリントを見ながら「もう一度、ここに撮りに 行きたい」と強く思う。穂香(ほにおい)という美しい名前の場所で撮ったその写真がそんな一枚になっ た。「風景との出会い」とは、いつもこんな風に出来上がった写真のなかにあり、旅先で眼の前に広 がる光景に感動するそれとは違うものだ。もう一度、もう一度ど繰り返すうち早10年が過ぎようと している。
「春」と言っても3月は流氷が接岸することもあり、夜はすこぶる寒い。4月から5月にかけては、 空港に降り立つたび、季節が戻る感覚に驚かされる。数年前からは、地元のネイチャーガイドの方と ともに歩くことも始め、風景を構成しているさまざまなモノ、ことを学びながら毎年の滞在を楽しん でいる。通い始めた頃は、豊かな草の波の下が凍土であることすら知らなかった。草も、木も、土も すべてその風土に属しているのである。
撮影のスタイルは撮り始めた頃から変わらない。撮る前、撮った後もしばらく風景を見つめる。生 きることや、消えていくことを想う。根室半島での時間は、人間は自然を構成するほんの小さい存在 でしかないこと、むしろ地球の<主役>ではないこと、自然の長さと比べれば、人の一生などほんの 瞬きでしかないことを改めて教えてくれる。
振り返ればいろいろなことがあった。私にとっての貴重な移動手段である自転車が、強風にあおら れ全く進まず、市街地にはほど遠い街灯もない道の途中で夕日が沈んだときには本当に焦ったし、カ ゴに入れておいたお弁当をカラスに持っていかれたこともあった。撮るつもりで行ったら草がきれい に刈られていたこともあったし、お気に入りの場所が風車やソーラーパネルの海になって愕然とした こともあった。が、それもすべてそういうものなのだろう。人間がどうであれ、何をしたにしろ、自 然はまた長い時間をかけてすべてを元に戻していくように思う。都市のような移り変わりの速さはな いにしろ、そしてほとんどが見過ごされてしまうようなものでも、再びは撮れない記録であると思っている。
人のいない風景のなかに人の存在を感じながら、それらをモノクロームのフィルムで撮ることから出発し、現在は道東と伊豆大島という異なる風土のふたつの場所が自分にとってのフィールドとなっています。
道東では、短い夏を迎える前までの長い春の姿を2011年より撮り続け、断続的に作品を発表してきました。風の音、鳥の鳴き声、波打つ草、その地の空気を体感しながら目に映る光景と対峙し撮るものは、「雄大な自然の姿」というものよりもむしろ、足元に広がる湿地の水や草、森のなかの地表といった一見、見過ごしてしまいそうなものであり、そうした中でその土地でしかない自然の営みを感じたままに残していきたいと考えています。
今回は昨年(2019年)に撮影したものから、約10点を展示します。
経歴 PROFILE
1963年 東京生まれ 東京在住 多摩美術大学卒業
[個展]
2019 ギャラリー蒼穹舎(東京)
2017 ギャラリー722(岡山)
2014,2011,2008 ギャラリー蒼穹舎(東京)
2014,2011 Attoko(根室市 明郷 伊藤牧場)
2007 UP FIELD GALLERY(東京)
2006,2005,2004 プレイスM(東京)
[グループ展]
2016,2015,2015 アートアイランズTOKYO 国際現代美術展(伊豆大島)
2015 TAIWAN PHOTO
2015 第五屆台灣攝影藝術博覽會(台北)
2013,2014 『Monochrome Landscape』(東京,帯広)
2011 二人展 Photo Lab Gallery (Oregon,USA)
2010 「深川フォトセッション」参加
2008年『Layered Landscape』 マキイマサルファインアーツ(東京)
[写真集]
『KADOI SACHIKO PHOTOGRAPHS 2003-2008』蒼穹舎
Artist HP 現在準備中
門井幸子写真展「春 その春」
Sachiko Kadoi Photo Exhibition [Spring, in the spring]
2020. 11.23 (Mon) - 12.6 (Sun) 水曜休廊
12:00 - 19:00 Lastday - 17:00 Wednesday Closed